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コラム 牧師の書斎から

2008年8月31日号 小平牧生師

私たちの教団に聖書学院がある。一万坪以上の敷地を持つ広大なキャンパスである。私たちの教団で牧師となる人はここで学ぶことになっているのだが、私はその前に、大阪で他の教派の神学校で学ぶ機会を得た。これは非常に大きな経験であった。というのは、私がキリスト兄弟団の人間であるということを強く自覚させられたのは、むしろ他の教派の神学校にいた時であったということだ。

自分を紹介する時には「兄弟団の小平です」と言う。何かの折には「兄弟団ではどう?」という質問が来る。大げさに聞こえるかも知れないが、そこでは教団を代表する存在なのだ。しかし、自分の教団の聖書学院においてはそういう経験はしなかったのである。

どういうことか?つまり、私たちは自分と異なる人の前に立って、はじめて自分自身を知ると言うことだ。私が、自分はクリスチャンホームであることを意識し始めたのは何歳ころだったのだろうか。たぶん幼少の頃は、すべての人は神様を信じていて、日曜日に教会に行くと思っていた。ところがそうでないことがわかり、それどころか自分の方が例外であることに気がついた。その経験は自分の世界の広がりとともにおきた。やがて、中高生時代には友だちに誘惑されたり、日曜の過ごし方などを通して、その度に「自分はちがう!」ことを自覚させられた。その後自分がクリスチャンになってからも、この社会の価値観に埋没しそうになる時、神様が「おまえはスペシャル!だから他のもので心を満たしてはならないよ」と、ハッと自覚させられることがある。

しかし、しかしである。私にとって本当に異質な存在はイエスキリストであった。この方の前で自分を知らされた。義と愛に満ちておられる方の前に立って、自分がいかに罪人であるかを知らされるとともに、完全に愛されていることを知った。神以外の前では自分の真相や価値を知ることはできないのだ。