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コラム 牧師の書斎から

2008年9月28日 小平牧生師

「永遠」をどのように理解するかは、その人の地上の生き方にかなり大きな影響を与えることになります。なぜなら、それによって何が大切なのか、逆に何が大切でないかが明確になるからです。

私たちは人の死に接した時、その人が「亡くなられた」と言います。そして家族や業績が「残された」と言います。しかし、それはあくまでも地上の私たちの側からの一面的な見方です。神様のもとに召された本人にとっては、本当は何がなくなり何が残ったのでしょう。召された本人にとって残っているのは、

まず自分の存在です。そしてお互いの存在と愛も残ります。召された人にとっては、地上の私たちの存在がなくなったり薄れたりはしません。もちろん、神様がともにおられるということは言うまでもありません。反対に、召された人にとって無くなったのは何でしょうか。まず、死です。あたりまえのことですが、召された人にとって死はもはや問題でなくなります。死だけではなく、別れや悲しみ、肉体の病や苦しみ、また精神的なプレッシャーやストレス、劣等感や競争心も全部なくなります。

ここに豊かな人と貧しい人がいるとします。この二人が肉体の死を迎えた時、何が無くなり何が残るのでしょうか。この二人が死ぬと、豊かな人の豊かさと貧しい人の貧しさがなくなります。しかし、その二人の存在は残ります。もし豊かな人が地上において自分の豊かさによって貧しい人を助けたなら、豊かさや貧しさはなくなり、助けたという事実さえも消え去ったとしても、その愛が残ります。同じように、もしあなたが敵を赦すなら、お互いの正しさや過ちが消え去っても、愛が残ります。

天国は単なる思想上のものではなく現実のものです。私たちの永遠の住まいです。ですから、私たちは永遠に残るものを大切にしましょう。過ぎ去ることにこだわるべきではありません。