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コラム 牧師の書斎から

2008年12月14日 小平牧生師

人は、何かをつかんで人生を完成させようとする。つかんだものやその実績で人生が評価されると思っている。しかし聖書を読んでいると、実際はその逆であることがわかる。だれでも人生の途上で、あるいは年齢を重ねながら、大切なものを手放すことによって完成に進む。人生は「何をつかんだかではなく、何を手放したか」で決まってくるのだ。クリスチャンの私たちであっても、いつも何か新しいものを得ることが自分の成長につながると思っている。
しかし、本当は逆なのだ。

夫婦が一体となるためには父母を「離れ」なければならないし、イエス様について行きたいなら自分を「捨て」なければならないと語られているように、大切なものを得ることは、手放すことによって得られることを聖書は教えている。手放すことを通して、もっと深い神様との交わりへと進むことができるのだ。しかし、私たちは手放すことができないようだ。特に、自分にとって正しいと思うことは手放すことができない。そして、正しさを手放すことができないことによって人は苦しんでいる。若さや成功や恵みの経験を握りしめて放さないために豊かで自由な人生に進めないのではないか。神様はあなたから何かを奪おうとしているのではなく、あなたを真に祝福しようとしておられるのだ。人生の軌道修正が必要ではないか。・・・・・

以上は、私の友人である牧師がある宣教団体のニュースレターに書いていたメッセージの内容です。教会の問題や友人の病気などが次々にやって来る中で、「あいつは僕の心を知っていたのか」と思いながらメッセージを読みました。そしてイエスキリストに思いが向きました。「キリストは、神のあり方を捨てられないとは考えず」(ピリピ2:6)。そう、イエスキリストも神のあり方としてのご自分そのものを手放されたのです。それは、私たちを得るためにです。この一週間、クリスマスのできごとに込められた神の愛に思いを向けましょう。