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コラム 牧師の書斎から

2009年2月8日 小平牧生師

WWJDという文字が入ったリストバンドをご覧になったことがあるでしょうか。
これは「What Would Jesus Do?」の頭文字で、「イエス様ならどうされるだろう?」という意味です。一般のスポーツ用品のロゴとして有名ですので、電車の中などでもWWJDと記されたリストバンドをつけている人をよく見ます。
チャールズ・シェルダンという牧師が、ある土曜日に翌日のメッセージの準備をしていると、一人のみすぼらしい人が教会に入ってきました。ところが、彼は忙しかったのでその人を追い返してしまったのです。翌日シェルダン牧師は礼拝で素晴らしい説教をしたのですが、礼拝が終わった後で、会堂の外に一人の人が倒れて死んでいるのが発見されました。それは前日彼のところにやって来た人だったのです。シェルダン牧師は苦しみ悩みました。「自分は説教の準備をするべきだったのか、それとも、彼を迎えるべきであったか。」彼の内側で葛藤が始まりました。そして彼が最終的に得た結論は、「もしイエス様だったらどうされただろうか」ということでした。説教の準備も大切です。一人の人も大切です。そのどちらが正しいかではなく、イエス様だったらどうするだろうか、それに従うことが自分の生きる道だ。そのことを後に、彼が「In His Steps」という本の中に「 What Would Jesus Do?」という言葉に表して書いたのです。それがWWJDの始まりです。
イエス様ならどうされるか。そのような基準で生きる人は、苦難の中であっても喜ぶことができます。しかし、そうでない人は、正しいことをしていながらも、心の中でどこか喜ぶことはできないのです。