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コラム 牧師の書斎から

2009年5月3日 小平牧生師

あるキリスト教出版社からアンケートがありました。その内容は、「今後どのような書物を出版していけばいいでしょうか」という趣旨の質問です。私はこの時とばかり書きました。「癒し系の本ばかり出さないで欲しい。クリスチャンが癒されることばかりを求めてしまう。かたくても良いから、もっと骨のある、読んでいて小骨がチクチク刺さるような本を出して欲しい。癒しブームのおかげで我々メッセンジャーも大変だ。」最後の一文は余計ですが、実際に礼拝後の挨拶の時に、「メッセージに癒されました」という言葉で感謝を述べて下さることが多くなったように思います。誤解のないようにと思いますが、もちろん癒されることはすばらしいことです。特にまだイエスキリストに出会っていない方に対しては、心から癒されるメッセージを伝えたいと思います。しかし、もし私たちクリスチャンが、いつもお手軽に「癒される」というレベルでとどまっていたら、あるいはそういうメッセージを求めていたら、それは健康な姿ではないでしょう。

パウロによると、聖書の効能は、私たちを「教え」「戒め」「矯正し」「義の訓練をする」(2テモテ3:16)ことです。「戒められ」て最初から嬉しい人はいないでしょう。ムカッと来るはずです。「矯正」とは、歯や背骨の矯正ではありませんが、自分の方向性を力ずくで変えられることです。そう思うと、「今日のメッセージはきつかった」とか、「正直、苦しい」いうような感想も、有りじゃないですか。あなたは最近、みことばによって戒められたり矯正された経験がありますか。神様の愛は、あなたをひととき癒して下さるのだけではなく、あなたの健康を妨げているものの根源にメスを入れるところまでいくのではないでしょうか。