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コラム 牧師の書斎から

2009年6月7日 小平牧生師

私たちは、だれでも自分自身を基準にして物事を判断します。自分の知っていることを基準にして「あいつはこんなことも知らないのか」と思いますし、また自分の経験を基準にしては「こんなこともできないの」と、人々を判断してしまいます。ある場合はそのようにしてレッテルを貼ることもあります。私のことを正直に言えば、自分はどちらかというとそんなことはないと思っていたのですが、自分の姿に気がついたり、指摘されることがあります。たとえば、子どもたちに対しても、その信仰生活について、自分の青年時代の青年会の経験を押しつけているような自分がどこかにいるのです。あるいは後輩の牧師に対しても同じことをしている自分に気がつきます。しかし自分を基準にする限り、人を自分と同じようにさせることはできたとしても、自分よりも優れた人を育てることはできません。

タイガーウッズのコーチは、タイガーより名プレーヤーではありません。もし、彼のコーチが、自分の経験を基準にコーチする人であれば、彼はコーチ以上のプレーヤーにはなれなかったでしょう。野茂やイチローという大選手が生まれたのは、彼らのトルネード投法や振り子打法という型破りのあり方を受け入れ、彼らを守った仰木監督がいたからです。私も、みなさん一人一人のスタイルを認めたいと思います。特に若い人たちに対しては、与えられたすばらしいものを発見し、次の一歩を踏み出すことができるように助け、励まし、最後までともに歩みたいと願っています。そして、私たちよりはるかにすぐれた霊性と輝いた品性を持ち、主の働きを進めていく、そういう人々を育てたい。そう思います。

神様は私たちを、そして成増教会を、今まで人々が経験も想像もしなかったような、そんな教会にしようとしておられると信じます。