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コラム 牧師の書斎から

2009年6月21日 小平牧生師

ある人が次のような体験を話してくれました。ある日のこと夕食後に家事をしているお母さんの後ろ姿に向かって、小学生のお子さんが「ねえねえお母さん…」と、学校のできごとを話し始めるのですが、お母さんは忙しく手を動かしていて後ろを振り返ろうともしません。子どもはしばらくお母さんの後をついて回って話しかけるのですが、とうとうあきらめてしまいます。それをみて、ご主人である彼はつい言ってしまいました。「なあ、おまえ。子どもが話しかけているんだから、ちょっとは手を休めて話を聞いてやったらどうなんや。」

その瞬間です。奥さんが、子どもにではなく彼の方に振り返って、目をちょっとつり上げて言ったそうです。「あんた、私の話はいつ聞いてくれるの!?」

これは私にとっては笑えない話です。なぜなら、自分もそうだからです。実際に、妻の話を聞いていながら、気がついたら他のことを考えているというようなことがあるのです。それを妻に指摘されることもあります。もちろん話を聞きたくないのではなく、聞きたいですし、聞こうと思うのですが、でもやっぱり話を聞くことは難しいことだとつくづく思います。

さて、私は牧師としては、みなさんのお話を聞いているでしょうか。牧師というのは人々の前で話す人というイメージが強いのですが、よいメッセンジャーになるためには、神の声と人々の声を聞くことが出来なければならないのだと思います。それは、教会の役員も、家庭の父親も、会社の上司も、学校の先生

も、国家の政治家も、同じです。私たちはお互いに耳を傾ける者でありたいと思います。忙しい私たちにとってファミリーキャンプがそういう時間であったらいいなあと思っています。