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コラム 牧師の書斎から

2009年7月5日 小平牧生師

以前にも書いたことですが、人間の心や行動というものは「白」と「黒」に明確に分けることはできません。私たちには「光」と「陰」の両面があるのです。それはクリスチャンであっても同じです。「光」であるのはイエスキリストだけです。もちろん、人は「光」の自分を意識しながら成長していきます。しかし、多くの人はある時に自分の中の「陰」の部分を意識し始めます。自分の人生の「陰」を知ることは楽しいことではありませんが、その経験は、私たちが人として成熟に向かえる飛躍のチャンスにもなります。

そのとき、私たちが取るべき道は次の3つのいずれかです。

一番目は、自分の「陰」の部分を無視して生き続ける道です。この人にとっては「陰」はあってはならないものです。しかしそれを無視する限り、混乱もありませんが飛躍もありません。現実には「陰」があるのですから、二元的な生き方になります。二番目は、反対に自分の中にある「陰」に惹かれて、その虜になっていく道です。「陰」の部分を認めると言うよりは、むしろ開き直ってそれに委ねてしまいます。実はこれはもともと純粋な人に多いのです。そして三番目は、自分の中にある「陰」を認めますが、それに縛られることなく光」と「陰」という自分の両面をありのまま直視していく道です。結果的に「光」と「陰」の自分が統合され、本当に成熟した人になっていきます。

多くの人は第一番目の選択肢をとります。特に、クリスチャンは「陰」を悪ものにして無視する傾向があります。しかし、クリスチャンの生き方とは三番目の道を取ることができることなのです。そして一番大切なことは、他人の「陰」を見るのではなく、自分の「陰」の部分をしっかり見ることです。