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コラム 牧師の書斎から

2009年7月19日 小平牧生師

梅雨が明けて今年も本格的な夏がやってきますね。新聞に「熱中症対策」ついての記事が掲載されていました。それによると、高層ビルや舗装道路による都市部のヒートアイランド現象により、東京ではこの30年間で真夏日(最高気温が30度以上)が3週間以上増え、年間2週間だった熱帯夜(最低気温が25度以上)も約1カ月に増えたそうです。熱中症というと私たちは屋外で起こるイメージを持つかもしれませんが、必ずしもそうではありません。特にお年寄りの方々の場合は、室内にいながらのケースが多いのだそうです。その原因は、高齢の方はからだの水分の割合が減ってきていることと、水分が不足していても喉の渇きを感じにくかったり、トイレに行く回数を心配して水分を控えてしまう傾向があるからだそうです。この季節は、のどが渇いていてもいなくても、室内でも室外でも、最低一時間に一回は水を一口飲むことが必要だということです。

私はこの記事を読みながら、「渇きを感じることと、実際にからだの水分が不足していることはちがう」ことにあらためて気がつきました。肉体の場合、年をとると喉の渇きを感じにくくなりますが、逆に水分の補給が必要になります。同じようなことがクリスチャンの霊的生活にも起こっていないでしょうか。自分ではそう自覚していなくても、私たちの霊は生ける水に渇き、私たちの心は神のみことばに飢えてはいないでしょうか。私たちのからだや行動に霊的脱水症状のシグナルが起こっていないでしょうか。からだが渇きを感じることは幸いです。しかし渇いていると感じるかどうかが決定的なことではありません。そのような人間の感覚によるのではなく、私たちには水が必要であるという事実を知って実際に水を補給することが一番大切なのです。

熱中症にならないために、肉体に水分を取りましょう。こまめに、継続的にです。また同時に、霊的脱水症状で倒れないように、毎日みことばを読み、神の生ける水によって満たされましょう。