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コラム 牧師の書斎から

2009年8月16日 小平牧生師

日本に初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸したのは1549年のことでした。彼の日本滞在は僅か2年半ほどですが、鎖国によって宣教師が日本国から追放されるまでの約60年間に、約37万人のキリスト教徒が生まれました。これは当時の人口1200万人の3%にあたり、現在の日本での主日礼拝出席者総数に匹敵します。もちろんキリシタン大名の誕生などによるいわゆる集団改宗もあったと思います。しかしその中に本物のクリスチャンが多くいたことは事実です。ザビエルの伝道から約50年も経たない内に起こった迫害によって、正確に把握されている数だけで4045人もの人が殉教しました。その中で宣教師は134名、それ以外の殉教者はみな信徒の方々です。
三木パウロという人は、磔にされた状態で「キリシタンの教えによるほか、救いの道のござらぬことを確信して申し上げまする。この死罪について太閤様はじめお役人衆に、何の恨みも抱いてはおりませぬ。切に願いまするのは、太閤様はじめ日本の皆の衆がキリシタンにお成りなさって救いを受けなさることでございまする」と伝道しています。彼らが死をもっても伝えようとしたのは、天地創造の神(ゼウス)、十字架の救い、そして永遠のいのちと天国(パライソ)という、日本人が初めて聞く福音でした。その後200年余の鎖国時代を経て、日本の開国によりキリシタン禁令の高札が取り去られた時に明らかになったことは、その鎖国の間にも彼らのある者たちはいわゆる隠れキリシタンとして信仰を脈々と守り続けていたことです。幕府による厳しい見張りの続く中で、宣教師もおらず聖書も何の集まりもない中で彼らは信仰を10世代近くも継承していたのです。

私は、あらためてこのような資料を読みながら考えます。その後のプロテスタントの150年の伝道が「個人の救い」に焦点をあてたことは当然の理由があり大事なことであったとしても、反面「家の救い」という信仰が弱かったのではないかということなのです。「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます。」