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コラム 牧師の書斎から

2009年9月27日 小平牧生師

先週月曜日から木曜日まで札幌コンベンションセンターで行われた「第五回日本伝道会議」に出席しました。そこで様々な方々に出会いましたが、その中に米国ジョージア州アトランタにある「ウエストミンスター日本人教会」の武田恒義先生もおられました。私たちの教会の山元正宜兄はかつて米国留学中に日本食に誘われてこの教会に行き、イエスキリストに対する信仰に導かれ、武田先生によって洗礼を授けられたのです。実は、山元君と同じように、海外に滞在している間に信仰を持つ人々が非常に増えています。先週の日曜日の礼拝に妹さんとともに初めて成増教会に来られた女性の方も、ニューヨークでクリスチャンになられたとのことでした。ある報告では、日本国内で信仰を持つ人よりも海外で信仰を持つ日本人の数の方が多いと言われています。なぜでしょうか。海外に出て日本社会や家のしがらみから自由にされることもあります。生活に時間ができ深い交わりができることもあるかもしれません。いろいろな要素が考えられますが、いずれにしろすばらしいことです。ところが問題は、海外で救われた方々の帰国後の日本の教会定着率が低いのです。その理由は、先ほどの理由の逆のことがあるでしょう。また日本の教会はよくも悪くも日本的なものの考え方や習慣が根付いていることです。クリスチャンは明るいというよりまじめな雰囲気です。そういう意味では、成増教会は受け入れ教会としてすばらしい教会だと思います(深く考えないで)。

海外にある日本人教会では、おのずから「寄留者」ということを意識させられます。それは「ディアスポラ(散らされた者)」という自覚です。旧約聖書のアブラハムから新約聖書のパウロまで、彼らはみな「ディアスポラ」として生きました。自分たちは「寄留者」つまり「旅人」であるという意識を持って生きていたのです。しかしこのことは海外にいる人だけではなく、クリスチャンはみなそうです。あなたは、自分の国籍は天にあるのであって、地上においては寄留者であることを忘れていませんか。私たちの価値観は、地上の安定ではなく、御国の待望です。この地上に永遠に住むかのような生き方をし始めた時、私たちの魅力は失われます。