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コラム 牧師の書斎から

2009年10月11日 小平牧生師

私のノートには雑誌の切り抜きが何枚も貼ってあります。先ほど何年か前のノートをめくってメモしたことを探していたのですが、そんな切り抜きに目がとまってつい読んでしまいます。飛行機会社の雑誌の切り抜きも多くありますが、それはたぶん飛行機の中で破ってあとで貼ったものだと思います。その中に「信頼はトレーニング 」という題の切り抜きがありました。次のような文章です。
~私が学生の頃は、よくハチ公の前で人と待ち合わせをしました。待ち合わせというのは、今思えば結構ドキドキするものでした。私は時間にうるさい方でしたから5分ぐらい前に行って待つ方なのですが、待っている間というのは、いろいろなことを思うものです。時間になっても相手が来なかったりすると、5 分ぐらいはいいのですが、10分、15分となるといたたまれなくなります。最近は待ち合わせに遅れても大丈夫です。携帯電話があります。『ごめん、ごめん、あと5分でつくからね』『今どこ?』『渋谷だよ。』携帯電話ができて、とても便利になりました。ほとんどの人が持っていて、今やメールまで使えるようになりました。でもですね、待ち合わせで、相手は本当に来るんだろうかと気をもみながらも、『きっと来るに違いない』と、相手を『信じる』気持ちは失われたように思います。

人を信用するのは能力です。相手が信用できる人間かどうかを見分けるのも能力なら、来ると信じるのも能力なんです。だまされないことは大事ですが、信じるのも大事です。確かに期待を裏切られることが多く、夢も色あせる毎日です。しかし、人を信じる練習をしなければ、人とチームを組んで何かを実現するという醍醐味を味わうこともないでしょう。~

「神様を信じることができない」とは、実は私たち人間の言い訳です。信じないことを正当化するのが人間の姿です。本当は「信じることができない」のではなくて「信じない」のです。イエスキリストがトマスに向かって「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」と言われた言葉を思います。