ここからコンテンツ

コラム 牧師の書斎から

2009年10月25日 小平牧生師

先週日曜日に成増に来る途中で読んだ新聞に、有名な牧師がセクハラで訴えられたことが報道されていました。弟子訓練やデボーション運動の働きをされた方です。また数週間前には、企業経営者であり信徒伝道者としても用いられていた有名な方がわいせつ罪で現行犯逮捕されました。こういう報道が昨年のAERAの報道あたりを初めとしてずっと続いています。今までなかったのではなく、これまでは隠されていたことが明らかにされてきたのだと思います。被害者の方にはもちろんですが、こういう事件と報道によってみなさんの信仰を理解し教会を信頼して送り出して下さっているご家族に与える不安や不信を思うと、残念であり申し訳ないことです。

このような事柄だけではなく、現在の教会は多くの問題を抱えています。NHKをはじめ世論調査が「多くの人々はキリスト教に関心を持ち、機会があれば教会に行ってみたいと思っている」という結果を出しているにもかかわらず、人々が増加するどころか減少しています。それに対して教会は、福音のために自分を新しく変えようとするかと言えば、むしろ慣れ親しんだ旧態依然の状態から一歩も踏みだそうとはせず、自分の正しさを誇りとしてただ現状を憂いています。それが私たち日本の教会の現実と言って言いすぎではないと思います。

しかし、私はそれでも、教会を信じます。なぜなら、イエスキリストが「わたしの教会」と言われるからです。主がそのいのちによって買い取られた教会を信じます。ハレルヤ。たしかに実際には、喜びが感じられず、無気力で、下を向いていて、互いに批判ばっかりで、自己中心かもしれません。肝心な信仰さえもないのです。しかし、それはあの最初の12弟子たちの姿とまったく同じです。
にもかかわらず、主はそんな人々に福音をゆだねられたのです。外部の人々からは「私たちの方がもっと喜んでいて、愛し合っている」と言われるかもしれません。その通りかもしれません。もちろんそれで良いわけはありません。しかし、それでも教会は主の教会なのです。教会はまったく死んだと思われたような時、その時に神の御霊が俄然臨んで御業がなされる。これがリバイバルの歴史です。主はご自分の教会をこのままでほっておかない。そう思いませんか。