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コラム 牧師の書斎から

2009年11月1日 小平牧生師

先日、加藤和彦さんがなくなりましたが、彼がうつ病と闘っていたことをニュースで知りました。フォークソングで育った私たちの世代にとっては、「あのすばらしい愛をもう一度」はなつかしいですよね。ところで相方の北山修は後に精神科医になったことをご存知でしょうか。友人の水野君のコラムからの引用ですが、「精神科医の北山は、その著書でカウンセラーの条件を次のように語っています。1.身体の医者は病気やバイ菌や血液を取り扱いますが、それはきれいなものではなく、むしろ醜いもの、臭いもの、腐ったものです。同様に心の病気を取り扱うというこは、心の未消化物や膿や傷口をも取り扱うことです。
ですから汚いものを扱うのが生理的に駄目な人、心の面できれい好きな人は向いていません。2.聞いた話を自分の中に置いておける人でなければなりません。思いついたら人に言わないではいらない人、人のプライバシーを尊重して自分の心にしまって置ける人でなければなりません。3.身体の医者と違い担当の相談者を他のカウンセラーに替わってもらうことができませんから、心身ともに丈夫でなければなりません。4.カウンセリングは一日に数人しかできません。高額医療もありません。よくなっても公にはできません。儲からないし、社会的に偉くなれない職業です。」

さて、イエスキリストについて、「彼は<不思議な助言者>と呼ばれる」と預言されていました。英語では、ワンダフル・カウンセラーです。たしかにイエスキリストは、私の一番汚いところに喜んでふれて下さり、私のすべてをありのまま受け入れて下さり、何の報いも望まれないお方です。あのニュースを聞いて、いつもにこにこしながらもうつ病を苦しんでいた加藤和彦の苦しみを想像します。しかし同時に、医者としてもその苦しみを一番理解したであろう友人北山修の苦しみを想像します。友人であっても限界があります。私たちのために十字架にかかられるカウンセラーとしてこの世に来られたイエスキリスト。今月末にはその記念日を待つアドベントに入ります。