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コラム 牧師の書斎から

2010年2月28日 小平牧生師

今年は、スケジュールの関係で例年より一週間早く3月14日に教会総会を行いますので、お間違いのないようにお願いします。いつも、どうしたら総会を有意義なものにできるだろうか、ワクワクするような楽しいものにできるだろうかと思っていますが、なかなか良いアイデアが浮かびません。みなさんのアイデアや意見をぜひお願いしたいと思います。
総会で議案を承認可決するだけのことなら別に何もむつかしくありません。例えば会計報告について言えば、毎月の役員会で詳細に報告検討されていますから、「計算間違いがない」「不正がない」という意味ではまず完璧です。しかし、教会にとっては「計算間違いがない」とか「不正がない」というレベルの承認で終わってはならないと思うのです。むしろ、「目的にふさわしく用いられたか」、「使うべきところに惜しみなく使ったのか」ということが求められていると思います。それは、最近よく使われる「アカウンタビリティ」、日本語では「報告責任」とか「説明責任」と訳されることにあたるのだと思います。イエス様の「タラントのたとえ」をご存知でしょう。私たちがやがて神様の前に立つ時に私たちは報告責任が求められますが、それは不正や計算間違いがあるかどうかではありません。預ったものを有効にまた大胆に用いたかどうかです。これは、お金のことではなく、むしろ私たちの人生のことです。悪いことをしたかしないかというような、神様はそんなちっぽけなことに関心があるのではありません。与えられた人生を、人生の目的にふさわしく使ったかどうか、ということです。ですから失敗があっても良いのです。挑戦しないで失敗しないよりも、挑戦して失敗した方が良いのです。やるべきことに取り組んだ結果、会計が赤字なのか、それともやるべきことをしないで黒字なのか、あるいはやるべきことをしないから赤字ということもあるでしょう。やるべきことをすれば最終的には必ず黒字になります。今日は会計監査があるそうですが、時々は私たち自身の生き方の監査も必要じゃないですか。