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コラム 牧師の書斎から

2010年3月28日 澤村信蔵師

先週は、茨城県にある羽鳥の聖書学院に行ってきました。表の目的は、教団の総会に出席するためです。でも、裏の目的というか、そちらの方が私にとって重要なのですが、もう一つの目的は、牧師の友人たちと会い、互いの様子を聞き、触発を受けたり、励ましあったり、また慰めあったりすることです。それがなかったら総会は欠席しているかもしれません。そして、もう一つは、懐かしい想い出の地に行くということでもあります。
小学生に入るか入らない頃、毎年両親やおじ、おばに連れて行ってもらったことを思い出します。当時は、おじたちが、大会のときの食事の奉仕をさせていただいていたので、親戚一同で車に分乗して行きました。車での長距離移動も楽しい想い出でした。また、羽鳥には、古い施設や、だだっ広い土地があり、何もないということだけでも驚きでした。まさに未知の体験です。トイレも宿舎の外にあり、真っ暗中、ポットン便所に行くだけでも冒険でした。朝から晩まで、いとこや、弟などと一緒に遊びまわっていました。「羽鳥に行かないと春が迎えられない」と言った事もありました。
でも、そのような楽しい想い出とともに、忘れられない風景があります。それは、ふと集会場である講堂に入った時、座布団に座って、身体を前後させ、ひざをさすったり、たたいたりしながら、必死に祈っておられた大人の方々の様子です。命がけとも言ってもいいほど真剣に祈っておられるその様子は、異様な風景でもありましたが、同時に子どもながら何かここには本物があるということを感じました。何も分からない子どもにも通じるものがそこには確かにありました。もしかしたらその雰囲気を求めて、毎年羽鳥に行きたいと思っていたのかもしれません。
今の私自身に足りないのは、その思いかもしれません。「道々お話になっている間も、聖書を説明してくださっている間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか」(ルカ24:32) ノスタルジックな思いではなく、主によって燃える思いで満たしていただきたいと切に願います。