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コラム 牧師の書斎から

2010年8月29日 小平牧生師

先日行われた青年全国大会で、ある教会の高校生が「これからは友だちにもっと伝道したい」という決心をしました。ところが彼女曰く「お父さんもお母さんも、自分の友だちには絶対に伝道しない。」彼女のこの言葉はあとでちょっと話題になりました。伝道すること(伝道しないこと)を子どもたちに教えていたのは、他でもなく私たち親たちだったからです。

私たちの教会では、すばらしい音楽のプログラムもあり、澤村先生をはじめ特にアーサー先生は伝道メッセージをして下さっています。しかし、このことを心に留めて、だれをお誘いしようか考え、祈り、実行している人はどれくらいおられるでしょうか。ホームページやチラシ配付も、大切な伝道です。しかし、伝道の基本は人が人に対して伝えることです。先ほどの話ではありませんが、もしあなたの友だちがあなたのことをクリスチャンだと知っていたとしても、あなたが一度も教会に誘わないなら、イエスキリストかその友だちかどちらかがあなたにとってその程度の存在だと結果的に伝えていることにならないでしょうか。

誘った人が礼拝に来られるか、救われるかどうかは、私たち自身の力でどうこうできません。しかし、お友だちを誘った人は、祈ります。礼拝にも期待します。遅れないで来るでしょう。新来会者の方々の気持ちでものごとを考えたり気を配ったりするように自然になるでしょう。みんながそうなると、礼拝の雰囲気は変わり教会が伝道的になります。メッセンジャーも新しい人がいると成長します。しかし自分の友だちを誘わないなら、新しい人が来るということ自体に現実味がないままでしょう。お互いに適当にごまかすようになるのです。礼拝にあなたの一番親しい人を誘いましょう。そしてその方がクリスチャンになるためには何が必要か、あなたが考えてみて下さい。