ここからコンテンツ

コラム 牧師の書斎から

2011年1月9日 澤村信蔵師

昨年エレベーターなどの工事を行ないました。多くの工事がなされて、非常に使いやすくなりました。その中で大きく変化したのは、トイレかもしれません。最新式のトイレになって、今までとは全く違います。その中で私が一番驚いたことがあります。

それは、自動の手洗いです。手洗いくらい見たことがあるだろうと言われそうですが、あの手洗いには、電源がついていないのです。電源がないということは、電池式で水を出すようにとなっているのです。電池式でどれくらい持つのかなと疑問に思って調べて見ると、充電池で、手洗いの時に、水を流すと、その水の力を用いて充電するという仕組みだったのです。電池の限界はありますが、理論的には、いくら手洗いをしても、電池は減らないと言う仕組みだったのです。私は、今回そういう仕組みがあることを初めて知りましたが、もう既に多くの場所で使われていました。でも、このやり方はすごいですね。水を出すとき、止める時に電気を使いますが、その前後で流れている水を使うのです。水の流れの間に充電装置をつけるということは必要になりますが、手を洗うためだけに使っていた水の勢いを用いるのですから、使う者としては全く意識をせずに、充電が出来てしまうという仕組みなのです。だからこの電池は、理論的にはいつまでもなくならないのです。永久機関ではないですが、永久機関のようにいつまでもなくならない電池というのはいいものですね。

私たちも、この電池のように、いつも主イエスから充電されて歩んでいきたいですね。生きる力を頂いて歩んでいきたいと思います。

エゼキエル書47章にあるように主イエスからは、いつも生ける水が流れています。しかし、その水を受け取るか、そのまま無駄にしてしまうか…それは私たちの問題なのかも知れません。主の生ける水の流れを、自らの力にするためには、いつも主イエスにつながり続ける必要があります。新しい一年もいつも主イエスのそばにいて、主イエスから力を頂いてともに歩んでいきましょう。