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コラム 牧師の書斎から

2011年1月23日 澤村信蔵師

先週から、礼拝の様子を映像で試験配信するようになりました。きっかけは、

少しでも良いメッセージを語ることが出来るようにと、私自身が自分の姿を見るために、ビデオなどを設置していただくということから始まりました。また、前から映像配信もしたいとの願いもありましたので、先週から礼拝の様子を配信してみることになりました。教会のホームページにリンク先が貼ってありますので、皆さんも一度ごらんくださればと思います。

実際に自分の姿を映像で見てみるといろんなことを発見させられます。知ってはいたんですが、もう一度映像を見て驚いたのは、自分の目が小さいということです。全然開いていない。そう見えました。その他にもいろいろな欠点が浮かび上がってきます。まあ欠点が見えてもすぐに直すことができるかは分かりませんが、少しずつ直していきたいと思います。

でも、映像を見て思わされたのは、自分のことを一番知らないのは自分かも知れないなということです。一目見て分かる欠点でもいつもは見えていないのです。自分の欠点をどれだけ今まで知らなかったと思いました。それは何も自分の姿だけのことではないでしょう。もっと知らないのは、自分の心の醜さです。心の欠点をどれだけ見つめて、神様に取り扱ってもらうおうとしているだろうかと探られました。私たちは自分の心の姿を普段見ていません。だからこそ、私たちはみことばという鏡に照らして自分を見、自分を知る必要があるのではないでしょうか?「みことばを聞いても行なわない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。」(ヤコブ1章23~25節)とあるように、みことばを行い自分の心を神様によって変えていただくものとさせていただきたいですね。