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コラム 牧師の書斎から

2011年1月30日 澤村信蔵師

先週の27日、まだ40代のみのりのいとこが召されたと聞きました。同年代の方が亡くなるということは本当に身につまされます。まだ小さいお子様もおられるとのこと、ご家族の平安を祈っていました。すると今度は28日、私のいとこの夫が召されたとの知らせが入ってきました。しばらく前から体調悪くしていて、昨年の4月末がお会いしたのは最後でしたが、とても痩せられていて気にかかっていました。27日に意識が無くなり、緊急入院し、私も祈りつつありました、天に召されました。さらに同日、日立教会の佐藤栄一先生と、この間お世話になった下関教会の鵜飼克巳先生のお母様のお二人も召されたという知らせを聞きました。

その夜は、目黒教会で持たれている教区の信徒学校に向かいました。一月と二月、私が終末について講義を行っているからです。でも、私が終末について造詣が深いわけではなく、教区の牧師の持ち回りで責任が与えられたという形です。だから、教えるにあたって私ももう一度終末について学びなおしています。今回、もう一度教えられたのは、再臨は現実に起こる出来事だということです。空想が絵空事ではないのです。そして、多くの方々が召されていくという現実を目の当たりにして、つくづく再臨があってよかったなあと思いました。主が再び来られる朝、よみがえった方々とお会いすることが出来るのです。御言葉を学びながらこのことは実際に起こるのだと、もう一度頭の理解を超えて、すっと納得できました。しかし、同時に、再臨の時は最後の審判の時でもあります。最後の審判は厳しいものです。永遠の滅びがそこにはあるのです。神のあわれみは尽きないので、実際に最後の審判でどのような裁きになるかは分かりません。でも、永遠の滅びから免れる唯一確実な方法はイエスを信じるということです。主イエスを信じさえすれば永遠の滅びに行かずに済むのです。なんという恵みでしょうか。そして、このことを知らないということはなんという損失でしょうか。この差はあまりにも大きすぎます。福音を聞いて何を選ぶかについては私たちには責任はありません。でも、伝えられていないとしたらそれは私たちの責任ではないでしょうか。今日も主をお伝えしましょう。