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コラム 牧師の書斎から

2011年4月3日 小平牧生師

大災害が起こると必ずと言っていいほど、「キリストの再臨が迫っているしるしではないか」ということばを聞きます。たしかに、今回は私たちが経験したことがないような大災害ですが、しかしよく注意してほしいのは、こういう一つのできごとをとって「世の終わり」のように言うことはまちがっているのです。たしかに、世の終わりの前兆として「地震があり、疫病やききんが起こる」ことが聖書に記されています。しかし別のところには、「人々が『平和だ。安全だ』と言っている時に」終わりの時が来るとも聖書は語っています。こういう大災害が起こったからと言って「世の終わりだ」と騒ぐのは、聖書を知らない人でさえ言うのです。「その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。…ただ父だけが知っておられます。人の子が来るのはちょうどノアの日のよう」です。ですから私たちは、いつも、平和な時も、終わりの時に備えているべきです。

聖書はこうも言っています。「昔、ノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられた…」(1ペテロ3:20)。神は何を忍耐しておられたのでしょうか。箱舟の完成でしょうか。そうではありません。人々が悔い改めて神に立ち帰ることを待っておられたのです。この事実にこそ私たちクリスチャンは心を向けるべきです。「主は、ある人たちが遅いと思っているように約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」(2ペテロ3:9)

多くの人々が亡くなられました。この痛ましい事実を思う時に、これらの方々の死を無駄にしてはならないと思います。しかし、それはただ単に防災に力を注ぐというようなことではなくて、真の意味でこの方々の死を無駄にしないこととは、残されたすべての人々が救われること以外にはないのです。そのために先に救われた私たちは、被災された方々に犠牲を払って今日の糧を分かち合うとともに、救いの福音を伝えることにも犠牲を払う必要があります