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コラム 牧師の書斎から

2011年5月29日 澤村信蔵師

つい最近、ある方から自分はなんのために働いているんだろうか、このまま働いていて何の意味があるんだろうかと聞かれました。その方は何か仕事のトラブルを抱えているのではなく、今はたから見たら順調に仕事されています。しかし、サラリーマンで、独身であるという状況の中で、自分の食べるものを得るためだけに働き続けることに疑問を覚えたようです。しばらくいろいろな話をお互いにしながら、一つの御言葉にたどり着きました。「私は、いのちと死、祝福とのろいをあなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。」(申命記30章19節)神様は私たちに祝福の道、いのちの道を用意しておられます。しかし、そのいのちの道を選んでいないから苦しいのではないでしょうか? 同じ仕事をしていても、そこに生きがいを見つけることが出来る人と、単調な仕事でつまらなく思う人がいます。その差は、自分の仕事の価値を知っているかどうかです。自衛官の方から、今回宝のように大切にしておられるもの、それは被災地の子どもからもらったら折り紙や、かけられたありがとうという言葉で、それが途方もなく嬉しかったと伺いました。自分の働きによって喜びを覚える人がいることを知ると、どんな苛酷な作業も吹き飛ばす喜びがあるのです。彼らは、仕事の価値を確認し喜んだのです。同じ喜びが、私たちが目を向けていないだけで、全ての仕事の中にあるのです。どんな小さな働きであっても、そこには大きな意味があります。そうでなければ対価を払う人がいるはずがありません。今自分のしていること、また自分自身の価値を知れば、もっと喜んで生きることが出来るのではないでしょうか? そして、私たちは、この地上での仕事とともに、もっと素晴らしい神の国の仕事を委ねられているのです。そのために、主イエスがご自分のいのちという代価を払ってまで私たちを買い取られたのです。私たちは、今日行っている働きの価値を知っているでしょうか?さらに神の国の働きに参加させていただいていることを知り、いつも喜びを持って歩むものとさせていただきましょう。