ここからコンテンツ

コラム 牧師の書斎から

2011年6月12日 小平牧生師

震災以降、「日本は強い国」とか「日本を信じている」といった公共CMが盛んに流されています。たしかに、信じることや、積極的な言葉を語ることは大事なことです。しかし、何度も繰り返されるその言葉に中身がないというか、たんなる強がりのように聞こえるのは私だけでしょうか。「私たちは強い」とか「私たちには力がある」と繰り返される言葉の裏に、日本全体を覆っている「これから本当に大丈夫なのか」という不安を感じます。「強い」とか「頑張ろう」ということばは「恐れ」の裏返しであり、不安だからこそ必死でお互いに鼓舞しているのではないでしょうか。でも、どんなに「信じている」といっても、「大丈夫」と繰り返してみても、その根拠がなければ心の奥の不安を拭うことはできないのです。

クリスチャンのライフスタイルは根拠のある楽観主義です。私たちの信仰は、不安や恐れの裏返しではありません。私たちは子どもの頃から、「自分のことは自分でしなさい」とか「人にあまえてはいけない」と繰り返し言われて育ってきたので、自分の弱さを口にしたり、人に「助けてください」と言うことが下手です。助けてもらうことに罪意識を感じるのです。たとえば、震災後に被災地の教会に電話して「大丈夫ですか」と聞くと、みんなそろって「大丈夫です」と言われます。ところが実際に行ってみるとまったく大丈夫ではないのです。クリスチャンとしてのあかしは、弱音を吐かないことではなく、私たちは弱いと言えることです。私たちクリスチャンは強い者なのではなく、「自分が弱い時にこそ、強い」と言える者なのです。それは神の愛とイエスキリストの十字架と復活の事実があるからです。

今日はペンテコステです。福音を証しする教会の誕生の日です。私たちのうちにおられる聖霊なる神様を心から感謝し、神様の愛のうちに生きていきましょう。