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コラム 牧師の書斎から

2011年7月3日 澤村信蔵師

先日、ローマ法王がツイッターを始めたということがニュースになっていました。ツイッターというのは、それぞれのユーザーがツイート(日本語ではつぶやきと意訳されます)と呼ばれる短文を投稿し、それを他の人がよむことが出来るサービスです。最初につぶやいた内容は、「親愛なる友へ、新たなサイトを始めました。主イエス・キリストをたたえましょう。祈りと祝福を込めて。ベネディクト 16 世」というものでした。他愛もない文章ですが、これからどんなつぶやきをするのか多くの人が興味を持って、4万人以上の人がフォロワーになりました。今はどれくらいになっているのかわかりませんがさらに増えているはずです。法王が何を語るのか、特にツイッターでは短いからこそ本音が語られることで、多くの人が注目していることが分かります。

このニュースを見ながらふと思いました。ローマ法王の発言でさえこれだけ注目を浴びているとしたら、今イエス様の発言があったらどれだけの人が注目するでしょう。その数は半端ないはずです。イエス様の生の声を聴きたいと皆さんも思ったことはありませんか?私自身もいつもイエスの声を聴きたいと日々願っています。そして、そのイエスの声を聴く方法が私たちには与えられています。それは日々聖書を読むことです。聖書は、過去に書かれた歴史ではありません。今日も私たちに向けて語られている神様からの愛の手紙です。時代が変わり、社会が変わり、習慣が変わり、常識が変わっても、すたれることがないのが神の言葉です。私たちはその神様からの声を聴きたいとどれだけ願い聖書に向かい合っているでしょうか。今日も神様に期待して、イエス様から沢山の愛のメッセージを受けて進んでいきましょう。