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コラム 牧師の書斎から

2011年7月31日 澤村信蔵師

中国で列車事故が起きました。原因は落雷だとも言われているのですが、本当のところはよくわかっていないようです。そんな中、早々と捜索は打ち切り宣言が出されましたが、20時間後、2歳の女の子が救出されました。さらに、先頭車両を埋め、賠償額を決め、運転再開がなされました。しかし、世論、特に、遺族の反発によって、埋められた先頭車両が引き上げられ、回収されましたがまだ調査は遅々として進んでいないようです。これらの出来事を見ていると、事故の危険性や列車運行の未熟さもさることながら、命が軽く扱われていることにとても怖い思いがしました。でもそのことは、中国だけではないのかもしれません。振り返って日本も変わりないのかもしれません。先日管首相が拉致グループとかかわりのある人たちに献金をしていることが国会で取り上げられた時、家族会の事務総長の増元さんが発言されていた言葉を聞きながら、愛する家族を思う気持ちの大きさを今更ながら教えられました。家族が失われていることがどれほど痛みなのかと心が痛くなりました。それに対して政府は、拉致問題も一つの外交上の問題となってしまっているのではと感じます。拉致問題は、一人の同朋である日本人の命をどのように大切に扱うのかそのことが問われている問題なのではないでしょうか。

でも、失われているのは、拉致被害者だけではありません。私たちの家族が、友人が、そして私たちの同朋が、今もサタンによって拉致されている現状があります。私たちはそのことをどれほどの痛みをもって感じているでしょうか。どこかで仕方がないこととあきらめていることはないでしょうか。拉致家族は一日たりとも失われた家族のことを忘れることはないし、戻ってくることを諦めてはいません。私たちは今日も愛する者のことを決して忘れることなく、愛をもって家族のため、友人のため、日本の同朋のために祈り続け、愛の言葉を伝え続ける者とさせていただきましょう。