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コラム 牧師の書斎から

2011年9月4日 澤村信蔵師

新しい首相が決まりました。反小沢だとか親小沢だとか、党員資格を停止されている人を中心に代表選挙が行われている姿を見て、あきれてしまった方も多かったのではないでしょうか。でも、最後の決め手は、小沢さんがどうということではなく、野田さんが語ったドジョウの演説であったというのは、幸いでした。辻説法をずっとされていたということもあるのでしょうか、演説はさすがでした。久しぶりに日本の政治家で心に訴えかける言葉を持った人のような気がします。彼の好きな相田みつをの「どじょうがさ金魚のまねすることねんだよなあ」にひっかけて、自分は金魚にはなれないけれど、どじょうはどじょうらしく泥臭くやっていくと訴えて、代表選に当選しました。一人ひとりを大切にする政治、「国民の生活が第一」とする理念をもって政治を行うと語っていました。

でも、どんな理念をもつか、どう語るかということよりも、何を行うかが大切なので私たちも注視していきましょう。ただ、クリスチャンは、上に立つものに対しては、単に注視するという以上のことが求められています。それは、上に立つもののために祈るということです。「すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。」(Iテモテ2:1~3)野田首相に期待できるかは未知数です。昨今の首相を見れば期待できない可能性の方が大です。それでも、私たちは立ててくださった神を信頼して祈りましょう。それがどんなものでも…です。人ではなく、神様に期待しましょう。

そして、この教会のために立てられた私のためにもなお続けてお祈りください。人ではなく、神様に期待して。よろしくお願いします。