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コラム 牧師の書斎から

2012年2月12日 小平牧生師

近年、葬儀に対する意識やあり方が変わってきています。華美なあり方がなくなり、密葬や家族葬の形式が増えているようです。

葬儀はなぜ大切でしょうか。葬儀は、本人が「天国に行く」あるいは「成仏する」ためのものではありません。亡くなる者にとって「与えられた人生と救いを感謝し、神様に栄光を現す時」です。遺族にとっては「家族や教会の交わりや絆をたしかめる時」であり、「悲しみとともにキリストの慰めを得て、希望をもって歩み始める時」です。またすべての人にとって、「自分の生き方をふり返り、死への備えをする時」なのです。

先週月曜日に、東北の被災地で仏教のお坊さんたちとも協力して、被災者家族のケアをしている牧師達の報告を聞きました。牧師たちが同じことを言ったことは、「お坊さんたちが、『キリスト教は、死後の希望がはっきり言えるからいいね。』と言う」ということでした。

私たちは、復活の信仰があるのです。永遠のいのちがあります。イエス様が十字架にかかられよみがえられたからです。それは他のどんな宗教にもありません。ですから、私たちだけが希望を語ることができるのです。私たち自身が主催する一世一代の伝道集会なのです。今まではいくら誘っても教会に来てくれない家族や会社の友人がみな来てくれます。そして、他にはない復活の希望、永遠のいのちのメッセージを聞きます。事実、教会の葬儀に出席される方々は、驚くほど好意的な感想を寄せられることがほとんどです。

でもただ一つ残念に思うことは、その人が生きている間に自分の信仰を語っていないことが多いという事実です。そのために、告別式でその人の信仰が語られても、教会の人たちはうなずいても、友人や会社からの参列者の方にはまず信じられないことなのです。そういう残念さを感じたことは一度や二度ではありません。

あなたの葬儀に参列された方々は、あなたの人生から何を受けとめられるでしょうか。