ここからコンテンツ

コラム 牧師の書斎から

2012年2月19日 小平牧生師

「福島第一聖書バプテスト教会」の名前を聞いたことがある方もおられると思います。この教会は「福島第一原発」から5kmのところにあった教会です。大熊町はあのチェルノブイリの強制移住基準の10倍の濃度が計測されている地域ですから、この教会の人々は自分の街とそこにある教会に帰ることはないと思います。

この教会の方々は原発事故直後は各地の避難所に分散して生活していましたが、やがて連絡を取り合いながら集まってきて、現在は東京の奥多摩のキャンプ場に60名くらいの人々が生活しています。来月には福島県いわき市に共同住宅の建築に取りかかり、やがて教会堂が建てられることになるでしょう。

牧師の佐藤彰先生の著した「流浪の教会」にも記されていますが、その教会には、被災地を脱出して奥多摩に寄留している「エクソダス」つまり出エジプトの人々、それから東京や仙台に移住していった「ディアスポラ」散らされた人々、そして「レムナント」つまり被災地に残された(原発で働く教会員もふくめて)人々がいます。しかし、さまざまな状況にありながら、大震災以後のこの教会は共同体としての教会の本質を表したのです。あの大災害の中にあっても、教会の本質は破壊されるどころか、むしろ力強く働きました。実際、テレビなどで報道されているように多くの村落はバラバラになってしまいました。行政がいくら仮設住宅を造っても真の必要に応えられません。なぜなら人々に真に必要なのは共同体/コミュニティだからです。集落や村がそのまま移動した仮設村落でも、そこに共同体が残るならば人々は生きていくことができます。しかしあちらこちらに仮設住宅を造って、その空いているところに人々を入れていく状況では私たちは生きていけないのです。

危機の時こそ、教会の本質がそれぞれの状況で具体的なかたちで現れます。もし私たちの教会であったら、今教会はどのようになっているでしょうか。考えてみることもよいかもしれません。