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コラム 牧師の書斎から

2012年4月8日 小平牧生師

人生には私たちにはわからないことがたくさんあります。祈り深く育ててきたのに子育てがうまくいかなかったり、とてもすばらしい人たちなのに夫婦や家庭の関係が壊れてしまったり、敬虔な信仰の家庭なのに問題が次々に起こったり、そういうできごとに何度も出会ってきました。 そして、そういう時にはいつも無責任にその原因を探し出そうとする人たちや批評する人がいることも。そしてそれが苦しみの中にある人々をさらに苦しめるということも。たしかに、私たちは分かりたいのです。「なぜ?」という問いに答えが欲しいのです。でも、私たちは分からないことがあるということを認めなければならないのではないでしょうか。説明のつかないことが地上の人生にはあるのです。それでいいのだと思います。分からないからこそ、私たちは神様の前にへりくだることができるのだと思います。

ところで、私たちの人生でもっとも大きな「なぜ?」は何でしょう。それは「なぜ?私が愛されているのか」という「なぜ?」ではないでしょうか。みなさんは答えられますか?私はいまだに分からないのです。というより、ますます分からなくなっていくのです。しかし、愛されている現実はいよいよ深くなっていきます。

「何ゆえ御神はかかる身をも 神の子とせしか知るを得ねど わがより頼む主は委ねたる身と魂を守り給うと確信するなり」(新聖歌357)

十字架を感謝します! 主の復活をほめたたえます!