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コラム 牧師の書斎から

2012年4月15日 小平牧生師

コピーライターの糸井重里氏が、高校時代の国語の先生から与えられた言葉として今も大事にしているという「多忙は怠惰の隠れみのである」ということばに共感する人は多いのではないでしょうか。

糸井氏は、その理由として三つのことをあげています。第一に、多忙さは、大局的なもの、本質的なものを見なくて済むようにしてくれる。( 第二に、多忙さは、他人に対して鈍感にしてくれる。( 第三に、多忙さは、理屈抜きの自己充実感を味あわせてくれる。

この三つのことは、私自身も体験的に本当だと思います。忙しくすることによって自分にとって一番むつかしい問題を先送りにすることって結構ありますよ。また二番目のことでは、子どもが話を聞いてほしいと言っているのに、「なに!早く言いなさい!」って怒っているお母さんの姿を見ると、「あれじゃぁ言えるわけないよな」って思います。忙しさは本当の友情を育てないどころか、人間関係を壊してしまう恐れがあるのではないでしょうか。その時間は後になっては取り戻せないのです。さらに、忙しさというのは「自分について大きな勘違い」をしてしまう危険がありますね。

しかし、私たちは現実に忙しい状況を生きなければなりません。その時に大事なことは何でしょうか。それは「境界線」で有名なヘンリー・クラウドが「Integrity」という本の中で書いていますが、「誠実」ということではないかと思います。彼は「誠実」ということを「現実の要求に顔を向ける勇気」と説明しています。忙しさの中でも自分の真の必要に目を向ける勇気。隣人の必要に対する敏感さ。そして自分を本当に満たすものは何かを見失うことはない信仰。そういう誠実さです。

神様の前に静まる時間が私たち自身を守ります。