ここからコンテンツ

コラム 牧師の書斎から

2012年5月6日 澤村信蔵師

ポール・ トゥルニエは言いました。「キリスト教は"自分の十字架をただ単に背負って行きなさい"とだけ教えるのではない。かえって"喜びをもって背負って行きなさい"と教える。キリスト教は単純に"自分の運命を受け入れなさい"とだけ教えるのではなく、かえって"自分の運命に対して、たとえそれが悲しい出来事であっても愛しなさい"と教える。自分の運命を愛し自分の十字架を背負って喜んで歩みなさいとキリスト教は教える。」

私たちは、この地上で様々な不幸や試練に出会うことがあります。そんな時こそ、周囲の環境や人を見ずに、その背後におられ、すべての環境を支配しておられる神を見上げる必要があるのではないでしょうか?

自分自身には悲劇を与えた出来事であったとしても、その出来事だけを見てはいけません。その出来事だけを見ているとずっとそこから立ち上がることは出来ません。ただ、後ろ向きの人生しかそこにはありません。でも、私たちはそんな時、神を見あげるのです。そうすれは自分自身を押さえつけていた怒りや憎しみや苦しみは不思議と消えていくのです。ヨセフは、兄弟たちに売られ、奴隷になり、そのところでも裏切られ、忘れられ、これでもかというほど、試練を通った人です。しかし、彼は、いつも神とともに歩みました。神を見上げていました。そして、心の平安と喜びを味わった人でした。私たちもヨセフのようになりたいと願います。ヨセフは最後に、兄たちに言いました。「あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。」(創世記50章20節)彼が自分の人生を喜んで受け入れた時、神がそこに働かれたのです。

私たちは、否が応でも十字架を背負って歩んでいく運命なのです。どうせ十字架を背負うなら、喜んで十字架を背負って行こうではないでしょうか。私たちが喜んで十字架を背負う時、必ず神がその悪をも善に変えてくださいます。今日も一歩一歩喜んで十字架を背負って進んでいきましょう。