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コラム 牧師の書斎から

2012年6月17日 小平牧生師

先週、熊本を訪れた時に花岡山に登りました。そこには札幌、横浜と並ぶ日本の三大バンドの一つである「熊本バンド」の碑が立っています。1876年1月、熊本洋学校の教師ジェーンズによって福音を聞いた約40名の学生がこの山に登ってイエスキリストへの信仰とその宣教に身を捧げる決意を趣意書にあらわします。すでに「文明開化」の時代とはいえ天草の乱などの影響からクリスチャンに対する偏見が根強かった熊本では、この出来事は一大事となり熊本洋学校は同年9月に廃校になります。そして彼らは、米国から帰国した新島襄によって開校したばかりの京都の同志社に全員入学します。今では知らない人はいない同志社も、当時は今で言う無認可のチャーチスクールです。同志社は1879年に最初の卒業生15人を送り出しますが、全員が「熊本バンド」の学生でした。その後、彼らは教育、政治、教会などの分野で、その趣意書に表された信仰にしたがって新しい日本の出発のためにいのちをかけて生きます。

「国家があなたのために何をするかではなく、あなたが国家のために何ができるかを問いたまえ」というケネディ大統領の有名なスピーチを出すまでもなく、「教会が何をしてくれるか」「牧師が何をしてくれるか」ではなく「私は主の愛に応えてどのように生きるのか」を自分自身に問うことが求められています。

花岡山は熊本市内を見渡せる、小さな山です。そこには記念碑が立たっているだけです。しかし思い巡らすにはその史実だけで充分です。署名に表された主イエスキリストに対する信仰と献身の決意、彼らの姿が輝いて見えます。あの15-6才の少年たちを燃やした福音が私たちをも生かしています。