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コラム 牧師の書斎から

2012年8月5日 小平牧生師

おはようございます。暑い日が続きますね。今月もコラムを書かせていただけることを感謝します。

私たちは多くの場合、自分の弱さや心の醜さを示され、「良い人、強い人になりたい」と願って、イエスキリストを救い主として信じるように導かれました。しかし、そこから矛盾が始まります。この世には立派な人々は数多くいます。そこで私たちは、そのような人々に劣らない人になることや、成功することがあかしになると思うようになり、失敗を恐れる生き方になります。あるいはそこそこの段階で、成長することを求めなくなってしまいます。リスクをとらなくなるのです。

宗教改革者のルターの後輩にメランヒトンという若い学者がいました。ルターは多くの人を敵に回すことをおそれませんでしたが、メランヒトンは争いを嫌い、万人から認められるような改革を進めようとしました。そしてついに、ルターにもルターの敵たちにも気を遣いながら、間違いを犯すことを恐れるあまり、悩みに囚われて仕事が進まなくなりました。良い人であろうとすることが重荷となり、信仰の喜びを見失いそうになったのです。そんな彼に、ルターは驚くべき手紙を書きました。「あなたが恵みの説教者であれば、作り物の恵みでなく本物の恵みを説教しなさい。もしそれが本物の恵みであれば、作り物の罪でなく本物の罪を負いなさい。神は作り物の罪人を救いたまいません。罪人でありなさい。大胆に罪を犯しなさい。しかしもっと大胆にキリストを信じ喜びなさい。彼こそは、罪と死とこの世との勝利者です。」

良い人であろうとするあまり、救いの喜びを失っていないでしょうか。良い人になることよりも、救われた罪人でいましょう。それがあかしなのです。この世の評価や人の目を恐れる必要はないのです。イエス様を愛し、イエス様のために生きていきましょう。