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コラム 牧師の書斎から

2013年2月10日 小平牧生師

今年の教団の標語は「主よ。私たちに祈りを教えてください」です。
祈りについて学ぶことは本当にすばらしいことで、それによって人間らしさを取り戻すことができます。
ある有名な大学教授が、自分の友人がクリスチャンであることに触れて「彼は、お祈りとかいうものをしているらしい」と、書いていました。「お祈りとかいうもの」というそのことばには「祈り」に対する違和感がはっきりとありました。こうした感覚は、この人だけではなく、日本の多くの、特に知性的であるという人々に共通するものであるように思います。もちろん立派な学者や経済人や政治家の中にもクリスチャンはたくさんおられます。しかし、概していえば、日本の知識人は「祈り」を知性的でないように思っているようです。いつだったか、「ビジネスの中に祈りを持ち込む人を信用しない」というようなことをも読んだことがあります。今までに、祈りや信仰というようなことが弱い人々や敗北した人々のものであるかのように思いこんでいる人々に出会ってきました。「そういうものは女、子どものすること」と切り捨てるように言った人もいました。
彼らは人間についての理解が浅いと思います。世界保健機構の理事会は、健康を肉体的、精神的、社会的とともに、霊的にも満たされた状態であるというように、WHO憲章に定義することを決議しました。総会ではまだ決議されていないままになっているようですが、健康の定義について霊的な状態が含まれているのは、いまや世界の常識です。私たちは祈ることを学ぶべきです。祈ることによって学問が健全に行われ、祈ることによってよいビジネスが行われるのです。祈りを大切にしましょう。