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コラム 牧師の書斎から

2013年2月24日 小平牧生師

神戸女学院大学名誉教授である内田樹(たつる)氏が天賦とは、文字通り天から与えられたものであり、才能とは贈り物であると書いています。またその才能は一時的に私たちに託されているものであり、その使い方を私たちは考えなければならなず、氏がこれまで見聞きしてきたことによると、才能を世のため、人のために使っていると、それはだんだんとその人の血肉となり、やがてそれは揺らぐことのない、その人の本性の一部となるといいます。しかし、もし、それを自己利益のために用いるのなら、その才能はゆっくりと目減りしていき、さらに威信や名声、そして貨幣と交換されていくと、やがてそれはその人自身から疎遠となっていくというのです。これらのことが長く生きてきてよく分かってきたというのです。
イエス様は有名な「タラントの譬」を語っていますが、あの譬が言っていることも、与えられている賜物(ギフト)を土に埋めておくのではなく、それを用いるようにという勧めであり、実際にタラントを用いた僕に対して『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう』(マタイ25章21節)というありがたい言葉がかけられました。またペテロ第一の手紙は『あなたがたは、それぞれ賜物をいただいているのだから、神のさまざまな恵みの良き管理人としてそれをお互のために役立てるべきである』(4章10節)と書いており、与えられている賜物は互いのために役立てて用いるべきである勧めています。私達には誰一人もれることなく、神様から賜物が与えられています。そのギフトを主のために、世のために、人のために最大限に用いていくのなら、神様は私達をさらに祝福してくださるでしょう。
内田氏は「その才能の"使いっぷり"を見て、次の贈り物のスケールとクオリティが決まる」とも書いています。出し惜しみせずに、神様が私たちに与えてくださっているものを大いに用いていきましょう。神様はさらに多くのものを管理させてくださることでしょう。「能ある鷹は爪を隠す」といいますが、「隠しっぱなし」というのも聖書の教えではないように思いますが、いかがでしょうか。(大倉信牧師のブログより引用)