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コラム 牧師の書斎から

2013年9月15日 澤村信蔵師

先日、2020年東京オリンピックが決まりました。私は、研修中でしたので、携帯のニュースで知って驚きました。その後、どうやって決まったのかいろいろ気になって調べてみました。

今回は、下馬評でぎりぎりの争いで、一歩マドリードが有利かともいわれていました。イスタンブールはシリアの政情不安があり、日本には、原発からの汚染水をどのように対応するのかというのは大きなマイナスとなる可能性がありました。決定へと導いたのは、最後のプレゼンでした。「お・も・て・な・し」という滝川クリステルの最後のスピーチが心を奪ったようです。もう今から今年の流行語大賞かとうわさされるくらい強烈な印象がありました。それとともに、重要だったのは、安倍首相が言った原発はコントロール下にあるという言葉でした。政府が国際公約として、原発の影響を抑えると明言しました。この安心感が、票につながったのだと思います。しかし、その後の状況は、まるで違います。次から次へと漏れが続いている状況を示すというニュースが流れてきます。東電社員の中には公けの場で、コントロールできていないと発言し、それを打ち消すのに東電も政府も必死です。でも、本当にコントロールできていると言うのならば、安倍首相はまず国際社会に向けて発するのではなく、当事者であり、今も自分の故郷に戻ることができない福島の方々に向けて、安心だと語ることの方が大事ではないでしょうか。しかし、福島の人には語らないにも関わらず国際社会では語ってしまうのです。ただこれは私自身も他人事ではありません。「語ったからには責任がある。その責任を全うするために行動しなさい。」とある方に言われたことがありますが、語った責任をいつも全うし続けるものとであり続けます。首相が語ったかということもさることながら、福島の方々が安心して生きていける状況になった時初めて、オリンピックを心から楽しめるのではないでしょうか。その日が一日も早く実現するために、この日本に住むクリスチャンとして、最善を尽くしましょう。痛みがある現実をしっかり見据えて、私たちは祈り行動しましょう。