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コラム 牧師の書斎から

2013年11月3日 澤村信蔵師

先日山本太郎議員が天皇陛下に手紙を渡したことが話題になっていました。彼自身は、福島の原発の影響を訴え、実情を知ってもらうために渡したと言っていましたが、それが政治利用に当たるのかどうかということで、問題になりました。その昔、足尾鉱山の現状を天皇に訴えた田中正造議員と比較されたりもしていましたが、良きにつけ悪しきにつけ、日本では天皇に訴えるということはインパクトのある出来事でした。そして、天皇が何かのアクションを起こしてくれたら、福島の現状が変わるのではとの一縷の望みをかけて行ったのだろうと思います。

山本議員は、この日本を変えたいと思い、参議院に立候補し、当選したのです。それでも変わらない現状があったから、天皇に訴えたのかもしれません。でも、天皇が変わったら日本は変わるのでしょうか?少なくとも今の日本において、天皇がどのような思いを持ったとしても、現状が大きく変わることはないでしょうし、それこそ、現状が変わってしまうくらい大きな影響があるのだとしたら、象徴天皇制ではなくなってしまいます。それでも、天皇さえ変われば…と思ってしまうのです。

私たちの日常の中にも、あの人さえ変われば、この人さえ変わってくれたら、私の状況は変わると思うことがあるかもしれません。でも、果たして本当にそうなのでしょうか?私たちは、他人の考え方や思想を変えてしまうことは出来ません。変えることができるものがあるとすれば、それは自分自身です。もし、自分自身が変わっていくならば、周りは自然と変わっていきます。

「神よ、 変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。

変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。

そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。」(ニーバーの祈り)

私たちが変えることができるのは、周りではなく自分なのです。「心の一新によって自分を変えなさい。」(ローマ12:2)