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コラム 牧師の書斎から

2014年1月19日 澤村信蔵師

先日、『ゆかいな仏教』<ブッダはキリストと何が違うのか>(橋爪大三郎・ 大澤真幸著)を読みました。『不思議なキリスト教』の続編とも言うべきもので私自身は仏教のことはしらないのでとても勉強にもなりました。お釈迦様と呼ばれるゴータマ・シッダールタが何をしたとかどう考えたということよりも、「覚り」を開いたことに意味があるということ、そして「覚り」は知識であり、これ以上もないほど素晴らしいものだけど、あまりに素晴らしすぎて言葉には出来ない。何を覚ったかは不可知とされているなど様々なことを教えられました。

その中で、一番興味深かったのは、副題にもなっていますが、ブッダと預言者、そして、キリストを比較する箇所です。「キリストにおいても、ブッダにおいても、「人間=X」という等式が前提となっている。このXのところに、普通の人間を超えた状態が入ります。一見、同じような等式にみえますが、キリスト教と仏教では、この等式がはらんでいるダイナミックな動きのようなものが反対を向いている。仏教の場合には、人間が、X(ブッダ)になる。その意味で、人間中心主義です。キリスト教は逆で、X(神)が人間になる。こちらは神中心主義です。」まさに本質をついている言葉だと思います。

人が、神のようになろうとするのではなく、神が人となって来てくださった。神だからこそ私たちを救うことができるのです。ブッタは、どこまでいっても人です。確かに覚りを体験し、素晴らしい物を得ることができたかもしれません。でも、あくまで自分にしか及ばないのです。普通の人間では理解できない覚りですから言葉にすることも出来ないから、伝えることも出来ません。私たちは、ブッダにはなれないものですから他人を救うことは出来ません。他人どころか自分自身をも救うことも出来ません。でも、神であり、人となってきてくださったイエスは、私たちを救うことができるのです。私たちは自分の力で自分を救えなくても、私たち自身を救ってくださるお方を紹介することは出来るのです。私たちの役割は、ただこの救いの道を時が良くても悪くてもお知らせすることなのです。