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コラム 牧師の書斎から

2014年2月2日 小平牧生師

10年前に教団の理事に選ばれた時に、自分のおかれた状況と務めに対して不平を漏らした私に対して、ある方が言われました。「先生がその仕事を喜んで受けなければ、私たち教会員も喜べないですよ。」「神様は負えない重荷は与えられない。私たちが負った以上の祝福をくださる。先生がそう言ってたではないですか。」その言葉に私ははっと目が覚まされるような思いがしました。

その言葉に励まされて1期2年を2期、その後2年挟んで、もう一回2期4年、合計10年になる教団の奉仕をさせていただきました。その間、思いがけず!成増教会の交わりの中にも加えていただきました。期待に沿うような働きはできなかったとしても、あの時、あのタイミングで、そこにおらせていただいたこと自体を感謝しています。

しかし考えてみると、何よりもあの10年前に、ひとりの信徒リーダーにそう言われて、「そうか。それなら、与えられた以上は、喜んでやろう」と思ったことが大きかったと思います。現実は、目に見える点で成果が上がったことは何もありません。私が理事のこの10年間に、教団の教勢的な数字はすべて下降をたどりました。なんとか歯止めをと思いましたが、力が足りませんでした。10年の間に9つの教会/伝道所が教団からなくなりました。成増教会のこともそうですが、東日本大震災など予想しなかったできごと、悲しかったことがいくつもありました。

しかし、イエスキリストに仕えることはやはり喜びです。飛行機や新幹線の中で賛美の歌を聴きながら、あるいは読んでいる書物の言葉にとらえられて、神様の愛に触れられることが何度かありました。負わせられなければ味わえない恵みがあります。担わされなければ経験できない祝福があるのです。だから、負わされたら特権だと思ってください。ヨハネ21:18は私たちの究極の成熟の姿です。