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コラム 牧師の書斎から

2014年3月9日 澤村信蔵師

もうすぐ東日本大震災から丸3年になります。4月には初めて福島第一原発から20キロ圏内にある田村市都路地区が、避難指示区域が解除されることとなりました。最初ニュースを聞き喜んだのですが、現実にその地域に住む方々の声は、「除染されたとはいえ、放射能のことが心配だ」「インフラが整備されていない」「皆で一緒に戻るなら戻りたいが、自分たちだけで戻っても意味がない。」など様々な不安があり、手放しで喜べない状況であることが分かってきました。そういう状況の中で戻るとかどうか決断できないというのが、一番多い意見でした。漠然と決断できないという選択ではなく、悩んだ末、やはり決断できないとの選択をせざるを得ない方々が沢山おられるのです。痛みの大きさを感じざるを得ません。そんな時、福島の名前の由来について書いた記事を読みました。福島という命名したのは一説によるとクリスチャン大名の蒲生氏郷だそうです。氏郷は高山右近の影響で信仰を持ち、洗礼を受けました。信長に腕を買われて頭角を現してきた時、本能寺の変がおきました。豊臣秀吉からは煙たがられ、東北に飛ばされてしまいました。これで自分の人生は終わり都から遠く離れたみちのくで朽ち果てるのかと涙しましたが、神がこの地に私を選び、私を召して下さったのだと気持ちを切り替えました。そうであれば、何か意味があるに違いないと考えました。毎朝、山に登って、「神よ、願わくば、この地の民を祝福して下さい。この地を呪われた地ではなく、見捨てられた地でもなく、神の恵みで覆って下さい。」と祈りました。そして出来るだけおめでたい名前にしたいという気持ちから、「福島」と名前を変えました。一生懸命祈り、神の愛を届け、下級武士の生活の面倒を見てた結果、福島には一時、藩の人口の3分の1が洗礼を受けてクリスチャンになり、教会も建てられた有数のキリスト教王国になったそうです。氏郷がなぜ「福島」と名づけたのかは今となっては分かりませんが、もしかしたら、単に「福の島」というのではなく、「福音の島」という願いだったではないでしょうか。今なお続く福島の方々の苦しみを思うと言葉もありませんが、しかし、かの地には先人のクリスチャンの祈りが積み重ねられていたのです。私自身もなお希望をもって福音の島となるように祈り続けます。