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コラム 牧師の書斎から

2014年6月1日 小平牧生師

教会に住み込んでいる研修生と一緒に、先月から「人生を導く5つの目的」を読み始めました。週に一回、聖書を片手に、この本を一章ずつ読みます。人生には目的があります。教会も同様です。しかし自分や人間を中心にして考えているかぎり目的は見えてきません。成功を収めることと、目的を達成することは似ているようですが決して同じではないのです。私たちが個人的な目標を達成し、人がうらやむほどの成功を収めたとしても、神が私たちを造られた目的を見失っていたら元も子もありません。それどころか人生はますます焦り混乱していきます。教会も同様です。

最近、「先生の子どもの頃の夢は」と聞かれました。私には夢や目標はなかったのです。ただ、牧師にはなりたくない、それだけでした。神様を信じてはいてもテキトウな信仰生活をするクリスチャンでいいと思っていました。しかし、人はみなだれでも無条件で受け入れられて平安があたえられ、そしてみな無条件で自分をささげるものを発見して喜びがあたえられます。神様の無条件の愛を知って、自分の人生には意味と目的があることがわかりました。自分の存在が偶然ではなく100%神様のご計画の中にあるならば、私の場合は牧師の子であることも、それ以外にはありえない最善であることをあらためて感動をもって受け入れることができました。自分の罪に苦しまなければならない時期や自分の弱さに泣くことも通りましたが、何といっても自分の罪が完全にゆるされた上に、人間本来の幸せを人々に証しするという最高の業のために自分のような者が用いられる。それだけではなく、自分自身を訓練して完成をめざすことができる、そういう使命がクリスチャンには与えられていることを知りました。

人生の目的は、自分がしたいことをすることではありません。神の愛、自分の罪、イエスキリストの十字架にしっかりと向き合って、古い自分に死んでキリストにあって生きることです。教会も同様です。