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コラム 牧師の書斎から

2014年7月27日 澤村信蔵師

「いのちの使命」日野原重明先生の本にこんなことが書かれていました。オーストラリアのウィーン生まれの精神科医にヴィクトール・フランクルというユダヤ人がいました。若手医師として活躍をしていましたが、ナチス・ドイツがオーストらリアを併合し、強制収容所に送られて過酷な生活を強いられました。両親も妻も子供も相次いで殺されるか、餓死をしてしまいました。それだけでなく、同じ収容所に入れられた多くの仲間も次々と死んでいくのを見送りました。でも、彼自身はそんな極限状態の中にあっても生き延び、そして解放の日を迎えることができました。その体験をもとに記されたのが『夜と霧』です。

彼はその中で、なぜ自分が絶望と思える状況の中にあっても生き延びることができたのかその理由を述べています。「一つの未来を、彼自身の未来を信じることができなかった人間は収容所で滅亡して行った。未来を失うと共に彼はそのよりどころを失い、内的に崩壊し身体的にも心理的にも転落したのであった。」「私はもはや人生から期待すべき何ものも持っていないのだと言う人にどう答えるか。それは観点の変更である。すなわち、人生から何をわれわれは期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題である」人生が何を期待しているか…これは言葉を変えて言うなれば、「私のいのちの使命は何か」ということである。と記されていました。使命とは、まさに神が私の人生に何を期待しているかということです。その神の期待、使命を知っているならば、どんな試練の中にあっても未来を見ながら生きていくことができるのです。私たちの人生の中には、試練や苦難があるでしょう。中には、それは運命だと言ってあきらめる人もいるかもしれません。でも、同じ状況であっても、そこで希望をもって歩むことができる人もいるのです。それはすべて観点、見方の違いです。自分の未来を何によって見ていくのか。私たちは運命に支配されて生きているのではありません。使命によって生きているのです。使命があることを知るなら、どんな状況でも、前を向いて進んでいくことができるのです。