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コラム 牧師の書斎から

2014年8月17日 小平牧生師

 夏の休暇をどのように過ごされていますか。私のようにこれから休暇の方や、夏の間も平常通りのお仕事が続く方々もおられることでしょう。
 先週日曜日に台風12号が礼拝の時間に合わせたように、私の住んでいる西宮を通過しました。三田チャペルと神戸の学園都市チャペルは礼拝を中止しましたが、西宮は「こういう時にかぎってぜったい来る人がいる」のでいつもどおりに行いました。40人位の思った以上の人々が集まりましたが、なんと礼拝中に会堂の雨漏りが始まるという状況でした(facebookをご覧の方はおわかりと思いますが)。
 阪神大震災の時のことを思い出しました。震災の次の日曜日には余震の続く中で30名位の方々が着の身着のままで教会堂に集まって来られました。その後しばらくは電車は不通、国道は指定車両以外進入禁止であり、そのような状態が続きました。その時の経験が私の牧会観を大きく変えることになりました。あの時、ある方々は教会堂に行くことができない状況の中で、家族や隣人の方とともに集まって礼拝をささげました。集まって賛美し、み言葉を分ち合い、持ち寄った物や支援物資で食事をし、互いのために祈りあったとのことです。そこにはクリスチャンでない方も加わりました。ところが、ある方々にとっては「教会堂に行くことができない」ことは、そのまま「礼拝をささげることを休む」ことであったのです。このことを知った時、私は大きなショックでした。その方々の責任ではなく、私の牧師としてのあり方がまちがっていたことに気がつきました。私が教えていたのは「神さまを礼拝すること」ではなく「日曜日に教会堂に行くこと」であったわけです。私は一つの教会にに多くの人を集めることができれば牧師として成功だと思っていたのでしょう。でもそんなことはイエス様は言われませんでした。もちろん会堂を否定するわけではありません。みんなで集まることには意味があります。ある程度の人数にならなければ質も保たれません。しかし、私たちは、会堂に行けなくても、牧師がいなくても、おかれた環境の中で礼拝をささげることができる、またクリスチャンならそれを導けるようになる必要があります。あなたは教会堂に行くことができない日、どのように礼拝していますか。