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コラム 牧師の書斎から

2014年11月9日 小平牧生師

今から20数年前、主任牧師としての奉仕を始めたばかりの頃、礼拝にある方々の顔が見えなかった。ある家庭に20名位が集って礼拝をささげたとのことが後からわかった。駆け出しで霊的にも人間的にも全てにおいて未熟者で、高い要求はしても恵みを与えられない、そんなメッセージをしていたことが当時のメモからわかる。多くの人に色々な面で痛みを与えてしまっていたと思う。親は一人の子どもがいなくなっても痛むのだから、私は胃や十二指腸に潰瘍を作り、眠れずに自動車で山や海に出かけては祈りともうめきとも言えない時間を過ごしていた。そのような時に与えられた次女に、申命記32章の「主は荒野で、獣のほえる荒地で彼を見つけ、これをいだき世話をして、ご自分のひとみのようにこれを守られた」との箇所から名前をつけた。

このみことばのとおり主はいつも真実である。先日、その時のあるご家族のお嬢さん一家が礼拝に出席して下さった。驚くべきことに、お父さんは紆余曲折の後、神学校に導かれ三年前から九州で牧会をされているとのこと。なぜ直ぐに知らせてくれなかったのかと思うのはこっちの都合。こういう時は自分からアプローチすることを聖書は教えてくれている。早速教会を調べてe-mailを送ったところ、すぐさま返事が来た。当時を振り返り「大変ご迷惑をおかけしました。お詫びいたします」とのこと。「勿論です。ゆるしています。もう忘れています。こちらこそおゆるし下さい。」と直ぐに返信した。

神様は私達を取り扱われます。取り扱われないままの奉仕や伝道はありません。自分が取り扱われないで結婚生活はありません。足りなさや失敗ではなく自分自身を差し出さない罪と我が問題なのです。神様は全てを働かせて益として下さいます。