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コラム 牧師の書斎から

2015年3月29日 小平牧生師

あるところで「多忙さは他人に対して鈍感にする」という言葉を紹介したのですが、それをそのまま痛感させられるできことが私自身に起こりました。神の家族でありながら、その方が長い間心に痛みを覚えておられることに対して鈍感になっていたこと。また、友だちでありながら彼の気持ちを本当には理解していなかったこと。そんな自分に気がつかされています。ソロモンは箴言の中で「世には友らしい見せかけの友がある、しかし兄弟よりもたのもしい友もある。」(18:24、口語訳)と言っていますが、自分自身が問われています。「見せかけの友」とは心に痛い言葉ですがその通りだと言わねばなりません。見せかけの友との付き合いに忙しくして、自分の隣人に対して自分も見せかけの友となるという連鎖が起こります。ソロモンは王様でしたから、彼のもとにはいろんな人が擦り寄って来たに違いありません。だからこそ、彼は「知恵のある者とともに歩む者は知恵を得る。愚かな者の友となる者は害を受ける。」(13:20)ことをよく知っていたのです。ここにある「愚かな人」とは、あなたに良い影響を与えない人のことです。本当のところ、「愚かな人」の多くは、とても魅力的です。少なくとも初めて会った時はそう思えます。この人と親しい関係であるなら、自分自身の価値があがるように思えるのです。しかし私たちは、人間というものが本来持っている性質を知らなければ、思わぬ影響を受けていくのです。ソロモンは箴言の中で、「思いあがり、簡単に嘘をつく、悲しみに対して冷淡、正しさよりも利害を選ぶ、そこにいない人のうわさを平気でする、悪口を言いふらす」という人間の性質をあげています。この世界では、嘘もうわさ話も悪口もふつうでしょう。でもあなたがふつうになってはいけません。それは愚かな人、見せかけの友の姿です。イエスキリストは、私たちに罪の赦しと新しい人生を与えて、聖霊によって私たちの内に「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」という性質を与えてくださっているのです。来週はイースター、復活は歴史的な事実です。復活は私たちの人生にも起こります。