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コラム 牧師の書斎から

2015年4月19日 澤村信蔵師

11日の土曜日、プロの棋士とコンピューターの将棋がありました。5対5の団体戦での最終局でした。昨年までの2年間は、コンピューターの3勝1敗1引き分け、4勝1負でした。もう人間はコンピューターには勝てないのかなという雰囲気の中、今年は最後の団体戦ということで、棋士も本気で勝ちにきました。最初人間の2連勝で始まりましたが、コンピュータが巻き返し2連敗、2対2、最後の最後でどちらが勝つのかという状況でした。結果はあまりにもあっけないものでした。朝から晩までの対局予定が、わずか1時間ちょっとで決着がついてしまいました。コンピュータ側がわずか21手で投了したのです。

原因は、人間では絶対に打たないところに角を打ってしまったからです。10手先くらいまでは、打った角が馬に成り、しかも王のそばで大威張りなのですが、あともう少し進めるとその馬がただ捕られてしまうことがわかっていたからです。コンピューターは、駒の配置などで良いか悪いかを判断します。その上で現時点の最善の手を指すのです。でも、その最善の手が、しばらく経った時の最悪の状況であることを読めなかったのです。コンピューターがいかに素晴らしくても、未来の状況までは見えないのです。そういう意味では人間の方が優れているのかもしれません。

でも、神様とは比較になりません。私たちは、現状を見て、また近い将来起こるであろうことだけを想像して、ああなればよかった、こうしたほうがよかった。神様なんで私をこんな目に合わせるのと文句を言っています。でも、神様は、私たちの現状だけを見て判断されているのではないのです。私たちの人生の最後の時に至るまですべてを見通した上で、私たちにとって最善を選んでくださっているのです。今までの人生を振り返ってみてください。あの時は分からなかったけど、あのことも最善だったんだと思う出来事がいかに多いことでしょう。「神のなさることを、すべて時にかなって美しい。」(伝道者の諸3章10節)神様は、今日もあなたの人生の中で、すべて時にかなって美しい、最高のことをしてくださっておられるのです。