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コラム 牧師の書斎から

2015年4月26日 澤村信蔵師

先日、国家晩餐祈祷会という祈祷会に出席しました。今年で15回目になるのですが、今回は、スペシャルゲストして石破茂大臣が来ていました。石破氏は、4代目のクリスチャンで、曾祖父は、金森通倫です。金森師は、熊本バンドと呼ばれる流れにあり、同志社大学で新島襄から受洗しました。また、一時期は、ホーリネス教会にも所属していました。そのような流れにある石破氏ではありますが、軍事のスペシャリストであり、イラクに自衛隊を派遣した折りの防衛庁長官を務めていました。その彼がどのような挨拶をするのか非常に興味があったのです。

彼は、挨拶の中で、ルカの福音書18章に出てくるパリサイ人と取税人の姿を通して、毎週どころか、年に一度クリスマスの折りにしか礼拝に行けていない自分だし、他者の言う事をまず否定するところから始めるような商売(例えば、民主党など野党のいう事はまず否定するところから始める)をしている自分だけれど、主がゆるし給うならば、神のために、この世界の平和のために何かをさせていただけたら幸いだと思っている。だから皆さんには祈ってほしいと語っていました。正直、石破氏はクリスチャンではあることは知っていましたが、形だけのクリスチャンだとどこかで裁いていたかもしれません。でも、彼自身の中には、あの胸をたたいて「罪人の私を憐れんで下さい」と祈った取税人のようにただ主を恐れている姿があったのです。そのことを知れて本当に嬉しく思いました。このような人を神様の働きのためにさらに用いてくださいと真剣に祈ることが出来ました。私たちは相手のことをあまり知らないで、表面的な姿を見て、他人をあの人は形だけのクリスチャンだとさばいているかもしれません。クリスチャンの足を引っ張っているのはクリスチャンではないでしょうか。でも神はどう言われているのでしょうか。「憐れんでください」と祈った取税人こそ義と認められたのです。私たちは、表面的なもので裁きあうのではなく、互いに祈りあい、励ましあうものとなりましょう。