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コラム 牧師の書斎から

2015年5月31日 小平牧生師

アメリカから留学を終えて日本に帰って来るクリスチャンたちの集会で、KGKの主事であった安藤理恵子さんが次のようなメッセージを語っていました。

「これから日本の教会に帰って行く君たち。フレンドリーでホスピタリティに溢れたアメリカの教会から、日本の冷たく暗く堅いと言われている教会に帰って行く君たにはっきり言っておきたいことがあります。『教会や牧師や牧師夫人に愛がない』と言って批判したり、そのことで驚いたりしてはいけません。教会に愛がないのは驚くようなことではありません!神様にこそ愛があるのであって、人々にそれを求めてはいけません。私たち人間には愛がないからこそ、聖書は私たちに『愛を追い求めなさい』と教えているのです。あなたが人や教会に対して『愛がない』ともし言うのであれば、同時に、あなたは自分自身に対しても悔い改めをもって祈るべきです。なぜなら教会は、あなた自身がそのからだにつながっており、あなたはその一部分で、あなたこそその教会、そのからだの一部分であり一つの器官だからです。」

最近もそういう人に会いました。外国でクリスチャンになる人は、明るいクリスチャンに出会い(それは国民性の違いもあると思う)、英語のワーシップを歌い(最後のところは母国語でなければわかんないのではないかという説もあります)、イエス様をジーザスと言い(ジーザスもいいけど、でもふつうの日本人は「主」にあたる人をそうは呼ばないと思う)、日本の教会に来るとカルチャーショックを受けるようです。でもこういうことは所詮文化の話であって、正しいか間違いかの話ではない。大事なことは愛。もし教会やだれかに愛がないとするなら、それはあなたに愛がないということであり、もしあなたに愛があるならば、教会にまた兄弟姉妹にもその愛がおよび、それは文化の違いを超えるのです。だから何よりも愛を追い求めようということです。