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コラム 牧師の書斎から

2015年6月14日 澤村信蔵

6月8日~10日まで、羽鳥の聖書学院でもたれた準備祈祷会に出席して来ました。以前は、秋季全国大会があって、学院で集まっていましたが、今は、各教区で聖会がもたれるようになりました。各地でもたれる聖会に神様の祝福があるようにとともに祈る時を持ち、来年度に向けて、御言葉が開かれ、ともに神様の前に出ました。まさに御言葉漬けの日々でした。とても良い時を過ごすことが出来たのですが、でもその中で一つだけ心を痛めることがありました。それは、ある先生のメッセージでした。最初は非常に良いメッセージでした。聖書の御言葉からまっすぐに語ってくださり、うんうんとうなずきながら聞いていました。でも、途中から、話が教団の歴史の話になり、失敗をした過去の出来事の話になり、そして最後には、今の出来事、ある先生のことを念頭に置いて語っておられるのだとしか思えない話になり、批判、裁きの言葉に心がすごくさみしくなりました。そして、自分は絶対にそんなことはしないと決意しました。

でも、その姿を見ながら、お前はどうだと神様から探られました。誰かを批判する時、自分をつい神様の側に置きやすいものです。そして、自分は絶対的な正しさを持っているかのように思い、時には、御言葉を引用したりしてまで、相手を批判し、裁いていることはないかと探られました。私たちが間違えてはいけないのは、確かに、神は私たちの味方です。神が味方であるこれ以上の幸いはありません。私たちはそのことを心から感謝します。でも、同時に、神が私たちの味方であるからといって、私たち自身は絶対的に正しいものではないのです。誰かに過ちがあるように、私たちにも誤りはある。私自身も絶対ああはなりたくないと思う姿にいつの間にかなってしまう可能性を秘めていることをも教えられました。本当に正しいのは神だけです。だからいつも神の前にへりくだる必要があるのです。そうするなら、他者を尊敬することも出来るのです。「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。」(ピリピ3章4節)