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コラム 牧師の書斎から

2015年12月13日 澤村信蔵

光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」(ヨハネ1:5)クリスマスの一つの大きなテーマ、それは、「闇の中に光がもたらされた」という事実です。
 昔、ある大学で神を信じない教授が、「あなたは神がすべての物を創ったと信じていますか。」と問いかけました。一人の学生が「はい。その通りです。」と答えました。「では、すべてのものを神が造ったということであれば、神は、悪も創造されたということになるね。」と語りました。確かに、三段論法だとそうなります。でも、その学生は答えました。「僕はそう思いません。先生は、冷たさが存在することと考えられますか?」「そうだね。冷たさは確かにある。」と教授が応えると、「いや、冷たさと言うのは存在しません。私たちも冷たさを体感しますが、物理学では、存在するのは熱です。熱が欠如した状態それが冷たさです。先生は、闇が存在するとも考えますか」「そうだね。確かに暗やみは存在する。」「でも、闇も同じです。闇が存在するのではないのです。光がない状態が闇です。存在するのは光だけです。だから、闇は、単に人が光を感知できないそういう状態です。そして、それは悪についても同じです。神の光が届いていない状態が悪です。神が悪を創造されたのではなく、神の光が及ばない状態が悪なのです。」これは、4世紀アウグスチヌスが、悪と闇について説明したものです。確かにそうなのです。神の光が及んでいない状態、それが闇であり、罪の状態なのです。闇が光に打ち勝たない、これは当たり前なのです。闇は存在しないのですから。闇ではなく、単に光がないだけですから。罪があるというよりも、神の光が及んでいない、神の愛が届かない状態と言った方が正確なのでしょう。でも、光が届かない私たち、神の光を拒絶してしまう私たちをも愛してくださった神様が、まことの光を届けてくださったがクリスマスなのです。それは神の御子というかたちでした。神であるお方が、私たちと同じ人となってくださって、光を届けてくださったのです。このまことの光を今日もあがめていくのです。